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この世界の真実

何が真実なのか虚偽なのか、わからない世界。
今も昔も、またこれからも繰り返されるだろう。

 

どちらが正しいのか、正しくないのかは価値観によって変わる。
所詮、価値観が違えば正義も悪も区別がつかない。

 

そんな世界に、「真実」は無意味のように思える。
虚偽がまかり通る世界、それがこの世界。

嘘も百回言えば真実となる

真実であるか虚偽であるかは関係ない。
100回言えば、それが真実になる。

 

「真理の錯誤効果」によって、大衆は簡単に洗脳される。
自分の目や耳から入った情報を、単に脳で記録しているに過ぎない。

 

何時しかそれが、思い込みとなる。
しばらくして、そうではなかったことに気付いた経験は誰しにもある。

 

では、どうやって気付いたのか?
「あれは嘘でした」と言う情報によって、脳が書き換えられたにすぎない。

 

この経験の繰り返しから、人は疑心暗鬼を生ずる。

疑心暗鬼
「疑心」は疑う心。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。
心に疑いを持っていると、何でも無い”つまらない”事まで不安になったり、恐ろしくなったりすること。

疑心暗鬼は、最も身近なものにまで影響を及ぼす。
人や情報が信じられなくなり、不安と恐怖に支配される。

 

権力者・支配者・独裁者・利権を持つ者たちにとって、これほど好都合なことは無い。
効率よく大衆をコントロールする方法、それが現代の情報戦。

疑う心の成れの果て

例えばある事件がニュースとして報道される。
見聞きした者は、勝手に被害者と被疑者に区別する。

 

しかし後に不起訴処分となり、”不起訴の理由は明らかにしていません”と報道される。
そして、「なんで!おかしい!」となる。

 

大抵は、被害者が被疑者の処罰を望まない結果そうなる。
なのに不起訴の理由を聞きたがる。

 

検察がもし不起訴の理由を公表すれば、今度は被害者が非難中傷される。
だから公表しないのだ。

 

コントロールされる大衆には、それが理解できない。
検察が大事な何かを隠していると、疑わずにはいられない。

表面的な情報に真実は無い

人間に心がある限り、表面的な情報から正邪と問うことは出来ない。
犯罪とは、構成要件に該当して違法で有責な行為の事。

 

この三要件が満たされなければ、たとえ殺人であっても犯罪とはならない。
だから表面的な情報だけで何かを感じても、そこに真実があるわけではない。

 

まさに暗闇の中の亡霊を見ているようなものだ。
寝ても覚めても悪夢にうなされ、疑いが更なる疑いを生む。

 

真実は内面である心の中にあって、その行動によって表面化する。
内面と表面は別々のものではない。

 

言動は内面から発せられ、行動として現れる。
表面化した情報は、行動した結果の一面に過ぎない。

 

虚偽にはかなず矛盾が生まれ、言動と行動が一致しなくなる。
したがって言動と行動が一致していれば、それが真実だ。

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