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新年会恒例の書初め

IMS創業当初は、主要メンバーでよく書初めをやっていました。
数年後には社員も含め大人数になってきたため無くなりました。

 

特に故伊東元会長の書初めは達筆で、印象に残っています。
その中でも、「六根清浄」は記憶に深く残っています。

 

六根清浄とは、人間に具わる眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(嗅覚)・舌根(味覚)・身根(触覚)・意根(意識)の六根を清らかにするという意味なのですが、一般の人にはあまり馴染みのない言葉なので、書初めでこの文字を書かれたことに驚いた記憶が残っています。

「六根清浄」本来の意味

本来は仏道修行によって得られる”徳”の事を説明しているのですが、一部では、執着を断ち、不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つこと(山ごもりなど)を行う修行「六根浄」と勘違いしている人もいる。

 

本意は、俗世の中に生き六根を清らかにする事が出来れば仏のごとく徳を得る。
という事です。俗世と縁を絶つことではありません。

 

例えば俗世で人を助ける活動によって、六根すべてが慈悲に満ち溢れ嫉妬も憎しみも無くなり清浄されるという教えです。
つまり、自分が変われば見るもの聞くものすべてが変化するということです。

 

「浄土も穢土も同じ土」だから「天国も地獄も同じ所」という事ですね。

だから?

だから何なんだ?と聞こえてきそうですが、もしも自分が幸福になりたいと願う人は、六根を清浄しなければならないという事です。
ポイントは以下の通りです。

①この修業は、俗世と縁が無ければ行えない。
②他人を変えるのでは無く、自分が変わるという事。
③得られる徳は絶対的幸福。

私も日々修行中ですが、直ぐに六根が汚れてしまいます。(笑)
まだまだ修行が足らないようです。

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