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【授受】とは
受け渡し。やりとり。

の事。
普段私たちの生活の中で以下のような授受が自然に行われていますが、このような授受の関係において言葉の裏側では以下のような代償が発生します。

AさんはBさんに教える。・・・[裏]その代わり金銭をもらう。
BさんはAさんに教わる。・・・[裏]その代わり金銭を払う。

AさんはBさんに貸す。・・・[裏]その代わり要望を聞いてもらう。
BさんはAさんに借りる。・・・[裏]その代わり要望を聞く。

AさんはBさんに与える。・・・[裏]その代わり働いてもらう。
BさんはAさんにもらう。・・・[裏]その代わり働く。

代償の無いビジネスモデル

一般的に【授受】の裏側では前記の通り”暗黙の了解”が行われていますが、代償を伴わない【授受】の代表例として以下のような広告型ビジネスモデルが存在します。

「教える」と「教わる」の違い

このようなモデルにはA・Bの他に必ずCが仲介することで成り立っています。AとBの関係は”広告を見てもらう”か”広告を見る”事しかなく授受における代償は発生しません。
しかしAとBだけの関係で代償を伴わないモデルは存在しないのでしょうか?

松下村塾という奇跡のモデル
かの有名な松下村塾は開かれた塾であり塾生は武士に限りませんでした。志を聞かれることはありましたが入門は自由です。決まった授業料も無く開始の時刻も決まっていませんでした。徹夜で議論しても構わず基本的に自由なのです。テキストもその人に応じて松陰先生が選び、そして松陰先生も一緒になって読み、かつ議論をしました。寺子屋のようでもありましたし、大学のゼミのようでもありました。

そうやって松陰先生は、塾生の天分を鋭く見抜きました。例えば伊藤博文こと俊輔について「周旋の才あり」と、政治家としての素質を早くから指摘していたのは有名な話です。


この奇跡のモデルは一般に松陰先生の識見、実行力、人柄など類まれな才能に魅了された。と言われますが、それだけだったのでしょうか?

「教える」と「教わる」の違い

松下村塾というモデルこそが現代の日本に蘇るべき理想のモデルではないでしょうか。
吉田松陰先生の言葉に、「師道を興(おこ)さんとならば、妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。必ず真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし。」とあります。

これが「教える」と「教わる」の本当の関係なのです。この関係に一切の代償は存在しません。
IMSというビジネスモデル

本来、「会社というものは松下村塾のようなモデルでなければならない!」との”信念”でIMSは運営されています。だから大勢の経営者が輩出されるのです。会社は「利用する」ものであり「集まる」ための手段に過ぎません。会社の利益は近い未来に誕生するであろう偉大な人財を育成するための糧に過ぎず、このモデルが社会の模範となる事を切望しています。

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