脱毛とやらをやってみた
生まれてこの方、一度も経験した事が無い事は山ほどあります。
やった事も無いのに、最初からやらないのは人生もったいない。
今回これまでまったく興味の無かった脱毛とやらを、友人の誘いでやってみました。
それで感想は、何も感じない部分もあれば、めちゃくちゃ痛い部分もあり。
終わった後は、なんかスッキリ。
でももう二度とやらないと思いますが。
一度っきりの人生
「人生一度だけ」という人がたまにいますが、ものすごく違和感を感じます。
宗教観から、前世や来世があると普通に感じてなりません。
まあ、それはさておき、今の人生でさえも一度っきりでは無いのでは?
年相応にまったく違う人生を歩んでいるような気がします。
私の場合は、明らかに35までとそれ以降の人生で激変しました。
なぜだか35の頃の顔と、今現在の顔にほとんど変化がありません。
というより35の頃に、すでに55~56ぐらいですか?とよく言われました。
老け顔だったんですかね?
年相応の生き方
孔子の論語には、以下のように記されています。
子の曰く、吾れ十有五(じゅうゆうご)にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。
(訳)
わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命(人間の力を超えた運命)をわきまえ、
六十になって人の言葉が素直に聞かれ、
七十になると思うがまま振舞って、それで道を外さなくなった。
このように年代によってまるで生き方が違う気がします。
しかし、ここで学ばなけれなならない事は、「その年代になったら”こう”でなければならない」という事ではありません。
「その年代に”こう”なるには、その前の年代で”こう”あるべき」という事です。
つまり30までに勉学に励まなければ、30を過ぎて独立することは出来ない。
独立しなければ、あれこれと迷いが続く。
迷わなくなるから、天命をわきまえる事が出来る。
天命をわきまえられたから、人の言葉を素直に聞け、最後には思うがままの人生を歩み、それでいて道を外さなくなる。という事です。
人生の最後が一番肝心
歳を取っても、何一つ思い通りにならず、人の道を外して失敗ばかりの人生ではつまらない。
そのようにならないためには、年相応にいつも自分を鍛え続けなければならない!という事を教えてくれているのです。
今日から生まれ変わったと思えば、「もう遅い」なんてことは無い!
何時からでも、人は変われる。人生は何度でもやり直しが出来る。
そして、人としての道を外さず思うがままの人生を歩んでいこう!