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株式会社IMS報奨決定執行取締役 株式会社CTU代表取締役

室井 貴志

社会に役立つ会社!?

室井 貴志

誰からも信頼される警備の仕事を手がけながら、企業市民として地域活動にも積極的に協力を惜しまない―それが株式会社CTUでの私のスタンスです。もちろん、そんな付き合いから仕事の幅が広がっていくという面もあることは確か。ただし、そのことを期待しているわけではありません。そこは株式会社CTUを立ち上げた時点から一貫しているつもりです。ところが……
「大変申しわけない。今回はご遠慮いただくことになりました」
紹介してくれた課長が頭をたれたとたん、一瞬、なにが起こったのか分かりませんでした。交通誘導などを通じて、街の安全のために活動してきたからこそ、口コミでお客さんの幅も広がり、その紹介でゼネコンのグループ企業協力会に参加しないかという声もかかったはず。話をさせてもらった時点では、グループの幹部クラスも大変友好的でした。それがどうしたことなのか!
「決算の数字が基準に合わないんです。財務的に赤字の会社さんに入っていただくのはどうかという話になりまして……」
そううなだれる視線の先には、数日前に提出していた株式会社CTUの決算書コピーがありました。
そういわれてしまうと、確かにそこに記載された数字は赤字。ただ、誘ってくれた方も分かっているように、業績は大きく上向いているし、実質的には財務面でも十分な利益が出ているのです。それに安心しきっていた私は、自分のふがいなさに強く唇をかみました。さらに、同じようにすでに話が進んでいた業務の相手先からも、契約を固辞する連絡が入ります。結局、株式会社CTUは一人前の会社として落第点を付けられてしまったのです。設立当初、まだ事業の先行きが見えなかったときであればともかく、現実に毎年の黒字体制が継続するようになってきているのに、なぜこんな門前払いのような仕打ちを受け
なければならないのか―その秘密はIMSグループが、これまでの日本にはなかった会社の仕組みをとっていたことにありました。IMSグループにはいくつかの特別な理念があります。
その一つが「会社を生むための会社」であるということ。
事業として警備業を行ってはいても、本質的には次々に警備会社を生み出していく、母体の役割を担うことを求められているのです。現在、IMSグループには13社の警備会社があります。そのすべてが、IMSグループもしくはその子会社の子会社。そして総本社である株式会社IMSは、主要メンバーによ
る同率株主制度で全員がグループへの責任と権利を同率に分担しています。しかもやる気と実績があれば、現メンバーでなくとも誰であれその仲間=株主になれる、というのが特徴です。ただし、このシステムを維持するため、数年前から各子会社は稼働人員の一定割合をIMSグループに還元することになっています。たとえば株式会社CTUの赤字決算はその結果。グループの協力があったからこその結果とはいえ、株式会社CTU単体であれば、確かに帳簿上プラスになるのです。しかし、IMSグループへの還元分によって決算書ではマイナスにならざるを得ない。協力会に誘ってくれた方も「面白いグループですね。なるほどそんな仕組みなのですね」と納得してくれていたものの、もろ手を挙げて賛成できるものかといえば、あえて新たな挑戦にお墨付きを与えるまでの度量はないというのが、まだまだこの国の現実なのでしょう。
「ああ、せっかく頑張ってきたのにダメか……」
一瞬、私の胸のうちを冷え冷えとした思いが駆け抜けました。でも、次の瞬間、新たな闘志が沸々とわき上がってきたのです。
「うちの基準が分からないなら、あなたたちの基準をクリアすればいい。割当分を引いてもしっかり利益を計上できるようにするだけ。新しい目標ができればそれだけやる気が出てくるじゃないか」
どんな会社でもスタートのときはゼロから始まります。売上500万、実質黒字化、経常黒字、売上増利益増継続3年……そのどれもが株式会社CTUが所信としてきた「信頼できる警備を適正な対価で提供する」ことを地道に追求していけば達成できます。
もともとこの会社を大きく勢いに乗せたのは、誰もが不可能と判断しただろう、未経験の花火大会警備を請け負ったことでした。それと比べれば、このハードルなど自分たちの努力次第で、いかようにでもクリアできるという自信がありました。結果は、誰もがご存じの通り。「JCも大事かもしれないが、本業はもっと大切だろう。もっとCTUに時間を使え」、グループ内からそんな声が聞かれるほど、私の会社は地域と一体化した活動を行っています。そして、その余裕を担保してくれるものこそ、IMSグループという稀な企業にある懐の深さ、それが私の実感なのです。


走り始めた株式会社CTU

室井 貴志

株式会社CTUを始めたのは、その前にいた警備会社を辞めてから半年後のことでした。IMSグループに参加するのを前提に退職はしたものの、そこに難癖をつけられては面白くありませんから期間を空けたのです。もちろん、隊員やお客さんの引き抜きのようなことは絶対になし。まったくのゼロからのスタートとしました。ただし、実績もなにもない会社ですから、しばらくは隊員も仕事も集まらず。IMSグループの仕事を一部請け負うのが中心になっていました。当然赤字です。そんな状況を打破してくれる仕事が、事務所開設から半年ほどで舞い込んだのです。じつはそれも結局は、ずいぶん以前に私がいた会社の、仲が良かった後輩たちから紹介されたものでした。それぞれ別の経路から2件の紹介でした。彼らにすれば、その仕事は自社で受注すれば、当然、自分の成績になるはずのもの。それにもかかわらず、私のためにと回してくれたのです。これらをありがたく受注し、成功させたことから株式会社CTUの業績は上向きになり、月次の収支で黒字を出せるようになりました。本当にうれしい驚きでした。それまでのつながりが私を助けてくれて、一から始めた会社が、ようやく前に進み始めたと実感できるというのは、なかなか味わえない格別の喜びです。
その後、橋かけの時期にはいったん業績低下に見舞われましたが、それは十分予想していたこと。仕事がとぎれても、その時間を利用して研修を行ったり、グループ内の仕事を手伝って隊員さんたちに少しでも給料を支払えるようにしました。給料日には顔を突き合わせ、あれこれと話をして隊員の確保を心がけていたのです。このころには「室井が会社を始めたのか、それなら一緒にやろう」といってくださる方が少しずつ増えてきました。こちらから前の会社と関係があった方に声をかけることはまずないようにしていたので、わざわざいただける連絡には感謝でいっぱいでした。だからこそ、そんな方たちの期待を裏切るようなことだけは絶対できない、どんな仕事でも大切にしなければと必死でした。


不可能といわれた花火大会受注

室井 貴志

そんな折、さらに大きな転機が訪れます。年に一度の草加花火大会の現場警備です。ただし正直にいえば、仕事内容と状況を振り返ると、いまになっても受注したのが正しかったかどうか迷うこともある大変な業務だったのです。話を聞くと、警備員120人規模の仕事というので、てっきり一部を担当するのかと考えたのですが、よくよく確認すると全体をまとめて欲しいという要望。ところが、当時は株式会社CTU単体でも隊員数は30人程度……なんと現場に派遣しなければならない人員だけでも体力の4倍以上になってしまいます。準備期間も一カ月程度しかありません。瞬間的に「ムリだ!」と感じたものの、どうにか手だてはないかと、グループのメンバーに相談したり、いろいろ考えてもみました。しかし結論はやはりムリ。ところが、あれやこれやと思い悩んでいる私に、伊東(当時会長)さんがガツンといってくれたのです。
「できるかできないかは、受注してから考えろ!」
あとで考えると、なんともむちゃないい方だと思うのですが、そのときはそれまでの迷いが一気に晴れました。
「そうですね! やらせてもらいます!!」
そんな経緯で受注を決めたとはいえ、株式会社CTUどころかグループ全体を総動員しても絶対的に力が足りません。まずは協力会社探しと状況確認、警備計画作成とやらなければならないことは目白押しです。なかでも一番大切な隊員確保は、やはり一向に目処が立ちません。しかも、たまたま同じ時期に株式会社CTUで初めての事業計画づくりも重なり、心身ともにクタクタになる何日かが続いたのです。ある朝、鏡をみるとなにかおかしい。なんだか男前が落ちています。目を擦ってしっかり見直すと、昨日まであった髪の毛がありません。生え際の少しうえのところに、まるまる頭皮が白くみえているではありませんか。10円ハゲ、円形脱毛症です。目の前が真っ白になる気分でした。自分はそんなにヤワだったのか―まるで、それまでの私を強く否定されたようです。しかも、気がつくと毎日のようにそれが増えてくるのでした。そうなるとかえって覚悟が決まります。私はあえて円形脱毛症を隠したりせず、逆にみせつけるように行動しました。もちろん、周りは驚きます。しかし、だからこそ助けてやらなければ、と考えてくれたのではないでしょうか。これまでにも、自分なりに苦労や苦しい思いをした経験はあります。ただし、自分から助けてくれとすがった経験はあまりありません。それでも苦しいときには、大勢の方が、助けてあげようか、と手を差し伸べてくれました。それが仲間なのだと思います。このときも同じでした。周り中が有形無形で私をフォローしてくれたのです。少しズルいようですが、私の場合はそのために円形脱毛症を利用したようなところがなかったとはいえません。いつまでも辛いことは続きません。それでも、もし自分が壊れてしまうくらいだと感じたら、そのときはやれるだけのことをやって、仲間に助けを求めてもいいのだと思います。さて、難航していた花火大会の警備担当探しですが、投げずにいろいろとあたった結果、最終的には1年前まで現場を経験していたところを含め、2社ほどに協力してもらうことができました。そのおかげで、大会当日はなんの問題もなく、安全に大会終了までこぎ着けられました。私は長年この仕事に携わってきましたが、花火大会警備が無事に終了したときほど感動したことはありません。しかも終了後、現場に立ち会ってくださった警察の担当者が、私たちの仕事を評価してくれたという話を聞き、さらに心が震えました。協力してくれた2社も、会社の規模や多彩な経験などそれぞれ強みを持つ本当に頼りになる存在した。現在まで良い関係が続いている彼らとの、出会いのきっかけをくれたという意味でも、草加花火大会は株式会社CTUにとって素晴らしい案件だったと思っています。この仕事は、震災のあった平成23年を除いて今年まで毎年続いています。最初は絶対ムリだと思いましたし、体制とノウハウができた現在でも、正直、受注時期になるとどうにか断れないかという考えがよぎってしまうほど大変な案件です。しかし、だからこそ良い経験や出会い、そしてさらに行政や警察、JCとの協力関係、また仕事上の新たな案件につながったのでしょう。やはり受けてよかった、受けなけれ
ばいけない仕事だったのです。「受注してから考えろ」は、いまでは私が部下に対してかならずといって良いほど口にする言葉になっています。


旅立たせるために、いかに人を育てるか

さて、どうにか業績を伸ばし始めた株式会社CTUですが、IMSグループでは独り立ちに手が届いた会社は次に何をするのか。それは、独立者を生み出すことです。とくに私のところはグループ最初期からの会社でしたから、その目標を疎かにはできません。ただ、一方で独立可能な優秀な人財を遊ばせてはくれないのがIMSグループです。デキル人財は、一カ所に留めず、サポートが必要なところへ逐次協力に回されることを運命付けられています。結果的に、株式会社CTUから独立第一号となったのは、株式会社CPA三浦社長でした。三浦さんが以前勤めていた警備会社からグループに移ってきてくれたのは、株式会社CTUの設立から1年ほど経ち、ちょうど私が花火大会の件でストレスをためていたころでした。彼自身、独立を希望して入社してきたのですが、警備業の経験が長いとはいえ、トップとして事業を切り盛りしていくためにはまだまだ身につけること、学ぶことが多くあるというのが私の見立て。さらにその過程で、どこから見ても独立を納得してもらえるだけの実績を出さなければなりません。はっきりいって、私は人を見る目に関しては自信がありません。人付き合いの基本は「相手を信じること」。もし、誰かに裏切られたとしても、それは「ダマされた自分が悪い。
自分がダマされるような人間でしかないのだから、そうならないよう自分を磨くしかない」。花火大会受注の際に、私の心を決めてくれた伊東(当時会長)さんがいわれるこの言葉は、そのまま私の真情でもあります。人は変われる、成長できます。ですから、人を育てるときにもそこに期待した育成を図るべきです。IMSグループの教育の基本は「出し惜しみしないこと」にあります。自分の持つものをすべてさらけ出して、全力で相手にぶつかるからこそ、相手もそれに応えるように成長してくれるはずです。IMSグループはもともと警備業界の良いところも悪いところも経験し、さらに大きな実績を残してきた人間が集まって作った会社。その結果、設立10年で我々が考えてきた第一段階の成果をきちんとあげ、さらに次のステップへ飛躍していこうとしています。その過程では、いくつもの会社を率いる人間も育ててきました。その基本にあったのは、先達の経験はすべて惜しみなく後輩たちのため、ひいてはグループのために差し出すという気持ちだったのです。それは私が株式会社CTUからの独立を志向していた当時の三浦社長に向かい合ったときの態度でもありました。

失敗から学んでもらうことの難しさ

じつは三浦社長と私の付き合いはIMSグループの歴史よりずっと長くなります。かれこれ20年くらい。阿吽の呼吸とでもいうか、お互い求めるところはある程度以心伝心で理解し合えるように思います。しかし、そんな近い関係が、彼自身の成長を妨げていたところも、やはりあったのです。実務能力がとても高く、ほとんどのことをそつなくこなし成果をあげるという素晴らしさを持つ一方で、率先して自ら行動し指揮を執ることや、積極的なコミュニケーションを通じて周りを仲間に引き込むことにはやや苦手感を持っているという人間がいます。
私の目からみると、それが三浦社長の性格でした。ときどき、経営者にはあまり向いていないのでは、と感じることもありました。しかし、人は変わります。一緒に頑張っていけば、自覚が高まるはずだと信じていました。
もちろん、その考え方はまるで間違いではありません。ただ、実際の使い方がおかしかったのです。
私は篠田総代(当時代表)から多くを学び、多くを取り入れてきました。ただし、人を育てる方法はじつに対極的なのです。私は人に紐をつけて育てることをしてきました。間違った方向に進んでいくようなら、すぐさま引っ張って軌道修正を図るのです。篠田総代のやり方は真逆、いうならば放牧といえます。どうにかできる限界のラインに高い柵を置いておくだけ。そこにたどり着くまでは、進む方向が間違ったものであっても、早々と指摘せず、「あれはどうせ失敗するな」と見ているのです。そのうえで、本人が失敗に気付いたところで「なぜ失敗した?」「どうすればいいんだ?」と指摘し、解決策を考えさせます。私にはこの「失敗から学ばせる」やり方ができませんでした。「君は先回りしすぎ。失敗しなきゃ分からないことだっていっぱいあるんだ」といわれたほどです。三浦社長が株式会社CTUにいたころも同じでした。視線の端で彼の行動を捉えたうえで「そんなことをしていたら失敗するぞ」と、こらえ性なく教えてばかり。その結果、彼は独立に向けて決められていたハードルを、長い間越えられないというジレンマに陥ってしまったのです。そこで篠田総代から出された指示が「三浦への業務指示の禁止」でした。
おそらく三浦社長も苦しかったかと思いますが、同時に、指示を出せない自分もずいぶん苦しみました。やることをみていて失敗するだろうと予想しているとその通りになってしまう。結果は分かっているのに、それを回避するアドバイスができないのです―これほど苦しい思いはこれまでありませんでした。直接、はき出せない苦しさのあまり、毎日、それを日記のようにパソコンに書き連ねていたほどです。しかし、これまでこちらから声をかけてしまっていたから、自分の能力を超えても助けを求られない三浦社長ができあがってしまったのだ―そう思って耐えました。それにもかかわらず結果はなかなか出てきません。我慢も限界が近づいてきたとき、もう駄目だと、篠田総代に相談に出かけました。会うなり、単刀直入に
「三浦の件なんですが……」と口にしたとたん、ふと思いついて別のことを聞いたのです。
「オレも以前ずいぶんくさっていましたが……」
それは、かつて成果が出ずにもがいていた私を、篠田総代がどんな思いで見ていたのか
ということでした。
一時期、いろいろなことが思うようにいかず、気持ちが萎えてしまっていたことがあったのです。冒頭に書いた、グループのために株式会社CTUが赤字になっていた時期。見返せるほどの利益を出してやると意気込みはしましたが、やはり赤字脱出には時間がかかります。グループが大切なのは当たり前だが、自分の会社は赤字で社会からは認められない―そうしなければならない理由を理解しながらも、どこか納得できず、自分のせいではないと不満を募らせていたのです。そのときに、篠田総代は私をどんな気持ちで見守っていたのか。立場が変わって見守る役割が自分になり、無性に篠田総代の心を知りたくなりました。
「君を信じて待ってたよ。室井ならいつか気付くだろうし、結局、自分自身でどうすればいいか気づかないと、変わらないんだから」
そういわれ、イラついて行き所のなかった気持ちはどこかに吹っ飛びました。
失敗を繰り返す三浦社長の状況を嘆いているだけの自分は、結局、彼がどこかで変わることを信じていないだけだと気付かされたのです。とはいえ、やはり引っ掛かりは消えません。現にやはり同様の失敗が繰り返され、少しも成果があがってこないのです。私は再び篠田総代に思いの丈をはき出しました。
「ただ同じように待てばいいというものじゃないよ。俺たち二人と、室井・三浦は違うし、関係も同じじゃない。違うんだから、同じ方法で上手くいくはずはない」
浅はかでした。同じやり方が通じないのは当たり前です。株式会社CTUでの私たち二人の問題を解決し、三浦社長が自分なりにうまく進めるようにするには、現状のままではいけなかったのです。そう考え直し、従来のような一方的にただ指示をする方法を改めました。まず三浦社長の心を聞き出すことを第一に、つまり「傾聴」です。お互いの関係、今後どうしたいのか、なにが問題なのかをとことん語ってもらいました。そこで話したことで、三浦社長も改めて考え、気づき、行動し始めてくれたのです。この経験から思ったことがあります。それは「人の成長が企業の成長」なのだということ。とくに我々のような人を中心とした仕事では、人間が育たなければ会社はよくなりませんし、人が諦めずに進み続ければ、一緒に会社も進歩することができるのです。現在、働いてくれている後輩、これから入ってくる後輩たちは、次の私や三浦社長です。自分のためにも会社のためにも、成長し続けなくてはいけません。そのためには失敗は決して悪いことではありません。一度の失敗でダメの烙らく印いんを押されるようなことのないよう、IMSグループは強い基盤と度量を持って、私たちの後ろについていてくれるのです。これからのIMSグループを担う人財が、我々の成功や失敗を糧に、さらに成長し続ける存在になっていく未来が、いまの私にははっきりと見えてきています。

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